〜デンバーの青い空:ヨコハマの碧い海〜
日本学生相談学会理事長 齋藤憲司
2018年の幕が上がりました。学生相談・学生支援に従事されている皆さまはどのような新年をお迎えでしょうか。つい、サッカーW杯の年だ!と考えてしまう自分を諌めつつ、本年もどうぞよろしくお願いいたします。
今冬はひときわ寒波が強く、いわゆる西高東低の気圧配置の中で関東では青空が広がっています。毎朝、テレビの天気予報を眺めては「今日も寒そうだなあ‥」と重ね着の枚数を検討することになるのですが、同時に全国各地の空模様に触れて、我が国の多様な風土にも思いを致しています。ある意味では、天気予報は「自国の国土」をそこはかとなく意識させるものでもあるのだなと感じます。
昨秋に学会行事の一環としてアメリカ出張に出かけた際に、目覚まし代わりの現地テレビで、あの広大な北米大陸の地図を映して各州の天気予報を見るたびに、“なるほどこれなら1つの国としてのまとまりを日々感じることになるな‥”と妙に新鮮に感じたものでした。訪問先のコロラド州デンバーでは、毎朝抜けるような青空が広がっていましたので、いまだに晴れた日に目覚めると「まだアメリカだっけ?今日のプログラムは?」と右往左往することがあります。
さて、自他共に認めるドメスティック派の私が、アメリカ出張に赴くことになったのは、「一緒に発表しましょう!」「プレジデントの参加が必要ですよ!」と呼びかけてくださった先生がたの強い引力が第一なのはもちろんなのですが、個人的な隠れた理由としては、自分の高校時代に全盛期を迎えていたシンガー・ソング・ライター:ジョン・デンバー氏の存在が心に残っていたことが大きく、デンバーという街に半ば憧れのような気持ちを抱いていたという次第でした。当時の彼は、いかにもカントリー風の帽子とシャツをまとい、トレードマークの丸眼鏡とともに人懐こいスマイルを浮かべながら、自然と人間の共生、そして肯定的な人生観を歌い上げており、とかく考え込み過ぎては感傷的になっていた当時の私にとっては、その屈託のない笑い声と歯切れの良い歌詞はこころのバランスを保つ貴重な処方箋だったのだと思います(*註1)。
今期のテーマは「高めよう!学生相談力×学生支援力」ですから、旗振り役の私も新しいことに踏み出していくことは必須と思ってはいたのですが、太平洋という敷居はあまりに高く深く、慣れない英語での発表にもかなりオドオドしておりました。さらに6泊8日の日程を空けるとなると、前後のスケジュールの過密化は避けられず「きっと現地ではほとんど寝込んでいると思いますよ‥」と宣言し、また実際にそうなってしまう始末で(私にとっては予定調和的でもあったのですが)同行の先生がたには大変なご心配をおかけしてしまいました。言うなれば、国内ではなんとか保っていた自分の「枠」のようなものからオーバーフローしていくであろうことを予感していたのだと思います。発表自体は連名発表の先生がたによる見事な工夫と構成力で、我が国の学生相談の歴史と現況、そして日米の比較とホット・イシューを凝縮して伝える大変有意義なセッションとなりましたが、自身のパートを思い出すたびに冷や汗がにじみます(*註2)。
さて、カウンセリングあるいは心理療法の最重要要素の1つが「面接構造」あるいは「治療構造」と言われる約束事や仕組みにあることは言うまでもないかと思います。時間と場所を区切り、担当者との関係性を吟味しながらこころの成長・回復を見守っていくことになります。守られた「枠」があるからこそ、安心して喫緊の課題やテーマに取り組めるのであり、揺るがない「枠」であるからこそ、じっくりと内面を成熟させていくことが可能になります。その上で、教育コミュニティの中での関わりゆえに、時に柔軟な「枠」の運用が求められるところが学生相談の難しさとやり甲斐となるのですが、いずれにしろ「独自な個人として尊重されている」という信頼感が醸成されて初めて成り立つ営みであり、それは明示された契約や形ある仕組みを超えた次元で共有されていくものでもあるでしょう。そして、心理面接のプロセスが進行していくにつれて、来談者は自分を守る「枠」を自らの中に構築していき、やがて行動面でも、あるいは人間的にこれまでの「殻」を破って成長した姿で歩みを進めていくということになります。「枠」を守ること・「枠」によって守られることを十二分に体験することで、ようやく「殻」を破っていくことができる、そのタイミングをどう見計らうかは外界の諸条件とも相まって一筋縄ではいかない課題と常々感じています。
さて、本年の学生相談ワールドにとって最重要行事となる第36回大会をお引き受けくださった関東学院大学の皆さまにとって、きっとこれまでの「殻」を破るような大きな決断だったのではないかと拝察しています。本学会の規模が大きくなってくる一方で、各校における人員や体制はいまだ厳しい状況にあり、大会開催校を見つけられずに思案していた際に、熟慮の上で申し出てくださったことにひたすら感謝の思いでおります。横浜は、300年続いた鎖国から世界に開かれていく玄関口として、我が国の発展に大きな貢献を果たし続け、今も最新の文化の発信地としてのステータスを保っています。少しうがった例えですが、鎖国は戦乱の世を経て粉々になった我が国の同一性を保つために(やむなく)推し進められた面があるのかもしれません。そして時機を得て開国に至った際には、横浜には我が国の内と外を結ぶ通気口として様々な風を通す役割が求められ(おそらくは相当な軋轢の風が吹いたはずです)、その役割を全うすることで我が国最大の港として発展することになりました。我が国の「枠」を守りながら、果敢に「殻」を破っていくプロセスを支えてくれた街ということになるでしょうか。
さて、翻ってデンバーですが、個人的な経緯からは “ロッキー山脈の麓の鄙びた山村”であってほしいという思いがどこかにあったのですが、実際には全米あるいは全世界から直行便が集結してくるハブ空港を持ち、広大な高原を渡った先にある市街地には高層ビルが林立していました。さらにはジョン・デンバー氏を偲ばせるものは街にはほとんどなく、レコード店なども見つけられずで少々寂しい気もしていました。デンバー氏のその後と言えば、徐々にヒット曲は出なくなり、歌詞は哲学的な(時に宗教的な)様相を帯び、トレードマークだった丸眼鏡も外して、おそらくはかつてのイメージから脱却しようともがかれたのだと思いますが、「殻」を破るというのとはやや異なる次元に旅立ってしまったようにも感じられます。氏は実は南部ニューメキシコの出身でデンバーという名前はこの“A Mile High City”(標高1,600mの高原都市)と称される街に魅せられたがゆえのシンガーネームであり、ありたい姿と実像、周囲の期待のはざまで悩まれたということもあるでしょうか。一方、デンバーの街は「ひと」と「文化」と「もの」が集結し交錯するターミナル都市としての地位を確立し、今回は全米の大学のカウンセリングセンターからディレクター(所長)が集まる会場を提供してくれました。親しげに抱き合って挨拶を交わす全米の先生がたを前に、どこまでも高いデンバーの青空を見上げながら、ふと ”Limit is the sky.” という言葉も浮かんできて、空が限界、転じて限界はない‥、自分に限界は設けたくはないけれど、「枠」は大事だよな‥、その上でどう「殻」を破るかなのかな、と思案に暮れてもいました。
「空」と「海」を彩る様々な青、蒼、碧‥。「青(あお/せい)」は語源的には「生(せい)=あおい草の芽生え」と「丼(せい)=井戸の中に清水のたまったさま」が組み合わさって成立したとのこと(新字源:学研)、5月の横浜の海は、きっと爽やかな青の彩りで、フレッシュに私たちを迎えてくれることと思います。何より、私たち学生相談・学生支援に従事する教職員は、空のような・海のような澄んだ気持ちで日々の「出会い」を大切にしながら、めぐる季節の中を着実に航行し続けていきたいものだと願います。幸いにというべきか、私たちの仕事には「全盛期」というものはおそらく存在せず、キャリアの各段階に沿った最善最良の交流と支援のあり方を常に模索し続けていくということになるでしょう。ベテランの成熟した営みにも、中堅の肝の据わった介入にも、若手の溌剌さと惑いが半ばする関わりにも、等しく学生相談・学生支援のエッセンスが含まれていることを思います。それだからこそ、世代と立場を超えた学びと交流をさらに進めていきたいと願います。デンバー氏に「詩と祈りと誓い:Poems, Prayers and Promises」という曲があるのですが(*註1のアルバムにも収録)、“今までの人生は悪くなかったけれど、やるべきことがまだたくさん残されている気がする。年を取ることを考えると怖くなるが、今は大事な仲間たちと暖炉の火を囲みながら、僕たちが大切と思っているものについてじっくりと語り合っているんだ”という趣旨のフレーズがあり、この20年ほど、本学会において諸先輩がたや同世代の皆さん、さらには若い方々と繰り返し行なってきた交流とどこかで重なり合うような気がしています。
今回は個人と組織と国をまたぐ大きなお話になってしまいました。海外渡航に慣れていない身にはよほど強烈なインパクトだったのだと思いますが、自分のやや固定化した「枠」がオーバーフローした経験から、1つ大きな次のしなやかな「枠」の形成につながっていけばと思っています。
今年もともにたくさんの「語り」を紡いでまいりましょう。もちろん、ワールドカップで日本代表の「青」のユニフォームが躍動することも願いつつ。
(平成30(2018)年1月4日:御用始めの日に)
(*註1)ジョン・デンバー氏のイメージを決定づけたのは(個人的にも、おそらくは世界的にも)、初期の代表曲を再録音したアルバム「故郷の詩:John Denver’s Greatest Hits」(RCA,1974)の佳曲の数々とレコード・ジャケットの破顔の笑顔ではないかと感じている。さらには「ジョン・デンバー・ライブ:An Evening with John Denver」(RCA,1975)で奏でられた清冽なアコースティック・ギターと朗々と響く唄声、そして弾むような語りと明るい笑い声にすっかりやられてしまっていたことを思い出す。
(*註2)参加した会合はAUCCCD(Association for University and Collage Counseling Center Directors)であり、発表内容の概要と交流の意義については、共に発表・参加された先生がたによる記事が『学生相談ニュース』vol.118 に掲載される予定なので、ぜひご一読いただきたい。実に活発な質疑応答と意見交換が展開され、さらに先方のプレジデントからは“Your presentation was fantastic!” との賛辞とともに ”well received and educational for all those who attended.” というコメントを頂戴して、しみじみと喜びを共有したことは何ものにも代えがたいことであった。