こころの「密」を取り戻すための長い道のりに向けて
理事長 高石恭子(甲南大学)
さわやかな秋の風がキャンパスを通り抜ける季節が訪れ、多くの大学で後期の授業が始まりました。コロナ禍の前には、学生による大学祭などの準備が本格化し、放課後もキャンパスに活気があふれていた時期です。
しかしながら、今年度も春の第4波、夏の第5波と、感染拡大のうねりは繰り返し各地域を襲い、そのたびに大学の活動方針も変化して私たちは対応に追われました。9月末で19都道府県に発令されていた緊急事態宣言は解除されましたが、いったん波は去ってもまたすぐ戻ってくるだろうと専門家は予想しています。若い世代へのワクチン接種の機会提供も予定通りに進まず、とりわけ首都圏や都市部の大学では、遠隔授業を継続しながら慎重に対面再開を模索する方針が取られているようです。今度こそ毎日友達と会える、と楽しみに待っていた学生たちのため息が聞こえてきそうです。
コロナ禍の1年目、学生も私たちも「収束後」を待つという意識を、多かれ少なかれ抱いていたのではないでしょうか。もう少し待てば、もう少し我慢して頑張れば、元通りに近いキャンパスライフが可能になると信じようとしたのです。しかし、現在の2年生は、すでに学生時代の大半がコロナ禍の影響下のまま終わることが見えてきています。あるはずのキャンパスライフが失われたまま、社会に巣立っていかなくてはならないという近未来の現実です。学生相談・学生支援に携わる私たちも、もうそろそろ「待つ」ことを止め、今、この瞬間にできることを全力で果たすという意識に転換すべき時に来ているのではないでしょうか。
「本来あるはずだったキャンパスライフの喪失」は、大規模自然災害に匹敵する影響を長期にわたって学生のこころに与え続けること、そしてその喪失に対するこころの反応は一定のプロセスをたどり、状況によっては無力感やうつ状態が長く続いて深刻化しうるということを、昨年からいろいろな場でお伝えしてきました。さらに、コロナ禍という災害がもたらす喪失については、2001年のニューヨークでのテロ災害や2011年のわが国での東日本大震災(津波と原発事故)の後に注目された「あいまいな喪失」という概念が、理解を助けてくれる可能性にも触れてきました。
あいまいな喪失ambiguous lossとは、アメリカの家族療法家ポーリン・ボスがベトナム戦争で行方不明になった兵士の家族や、認知症になった人の家族と向き合うなかで生まれた概念です。自分にとって重要な対象(物理的であれ心理的であれ)が消えたのは確かだけれど、何がいつ決定的に失われたのかはっきりしないまま、解決することもなく、終わることもない喪失を意味し、それゆえ、未来に向けて回復の過程を歩むこともいっそう難しい特徴をもつと考えられています。
ボスの理論や実践の詳細は成書に譲りますが、コロナ禍で私たちが晒されているのは、まさにあいまいな喪失体験の連続だと言えるのではないでしょうか。あったはずの語らい、触れ合い、悩みや迷い、夢を育むこと、実現に向けた試行錯誤、達成感や悔しさ。それら多くの可能性が日々刻々と失われていっているのです。そのストレスと傷つきを学生たちがどう受け止め、乗り越えていくかは未知の挑戦です。学生相談・学生支援に携わる私たちは、失われたものの回復に力を注ぐことはもちろんですが、それと同時に、回復しえないものを共に悼み、学生たちがあいまいなままの喪失を抱えて社会へ巣立っていくこころの過程に寄り添い支える役割が求められているのだと思います。
学生のこころのケア、とくに現在の2年生の望まない孤独(友人ができないこと)への対応が急務であることは、多くの調査結果やメディアの報道にあるとおりです*。これは、感染対策をして、対面授業を再開すれば解決するという次元の問題ではありません。学生時代は、多くのみなさんの記憶にもあるとおり、学業だけでなく課外活動や趣味、アルバイトなどを通して同世代の仲間と密接に関わり、夜通し語り合い、生涯の財産となる友人関係を構築するときです。また、教員の人間性に触れ、将来を左右するような師弟関係が生まれるときでもあります。それらは、言語以前の原初的な(限りなく距離がゼロになる)コミュニケーションの次元が深くかかわってこそ、可能になることではないでしょうか。
コロナ禍の学生たちにとって今最も必要なのは、そのようなかけがえのない経験を可能にする、こころの「密」を取り戻すことだと私は思います。常にマスクをつけ、Social Distancingを求められる生活のなかで、学生たちはたとえ相手が親しい友人であっても、距離を近づけることへの葛藤や、罪悪感を抱えるようになっています。「一緒に居たい」と誘うことはおろか、誘われることを恐れてSNSに自分の所在を呟くことさえためらう学生もいるほどです。万一自分が感染源になってコミュニティから排除されたらどうしようという恐怖や、配慮のない人間だと見られるのではないかという不安は、学生期の親密な人間関係の構築にとって、大きな障壁となっているのです。
このような状況が何年も続けば、当然、社会への巣立ちに向けた学生のアイデンティティ形成に深刻な影響を与えることは容易に想像できるでしょう。もちろん、感染リスクを無視して物理的な「密」を許容するわけにはいきません。しかしながら、画面越しであっても、マスク越しであっても、私たちは学生たちが抱く罪悪感をやわらげ、人と深くかかわりたいと思う当たり前の欲求を肯定し、その希望を叶えるためのさまざまなしくみと環境を作ることはできるはずです。
たとえば授業をもつ教員なら、いつもよりこころを込めて自分の人生を語り、窓口の職員なら対応のルーティーンを拡張して目の前の学生個人にもっと関心を寄せ、カウンセラーなら身についた傾聴姿勢に甘んじることなく、自分が今何を受け止め、何を学生に伝えたいのか、ことばや身振りで能動的に表すいっそうの努力をするといったことはすぐ可能でしょう。そういった意識や取り組みが伴ってこそ、物理的な「対面」機会の増加が学生の成長につながるのだということを、丁寧に心に留めておきたいと思います。
そうはいっても、感染リスクの回避(安全の確保)と、こころの「密」の実現(人間的成長を促すこと)は、二律背反の難しい問題に違いありません。これからの学生相談・学生支援において、私たちはこの難問にどのように向き合っていけばよいのでしょうか。
たとえば、アメリカの大学では秋学期の開始に備えて、各大学の学生相談機関での活動指針や利用のルール作りがすでに行われています。また、その判断において参照できるよう、ACHA(アメリカ大学保健協会)がCDC(アメリカ疾病予防管理センター)の勧告に基づきキャンパス全面再開のためのチェックリストを作成しています**。保険制度などがわが国と異なる条件の下でのリストなので、そのまま適用することはできませんが、参考になる示唆はたくさんあります。第一に、今後も学生相談は遠隔と対面のハイブリッドモデルでの提供が推奨されること、第二に、コロナ禍の複雑でトラウマティックなストレスは、今だけでなく将来の世代の大学生にも及び、精神衛生上の問題を抱える学生の割合が増え、レジリエントなアイデンティティの形成に悪影響を与える可能性があることです。
わが国でもそれは同様です。私たちは、それらの予測される問題に対して取り組まねばならない長い道のりの途上にいるということです。学生相談機関が、また学生支援に携わる教職員が、短期的そして長期的に何を果たしうるか、会員のみなさんと一緒に考え続けていきたいと思います。引き続き、本学会活動へのご理解とご協力をよろしくお願いいたします。
参考
*文部科学省高等教育局・総合教育政策局「新型コロナウイルス感染症に係る影響を受けた学生等の学生生活に関する調査等の結果について」
*朝日新聞×河合塾 共同調査 特集「ひらく 日本の大学」2020年度調査結果報告